ファイターズは育成の球団を標榜していますが、果たしてその育成はうまく行っているのか?
ドラフトの指名・外国人の補強は的確だったのか?
レギュラー選手の移り変わりを見ることで確認していく今シリーズ第2回はリーグ連覇となった2006→2007年の変遷を確認していきます。
2007年度成績&表彰選手
- リーグ優勝
- 交流戦優勝
- 79勝60敗5分 勝率.568
- MVP ダルビッシュ有
- 首位打者 稲葉篤紀
- 最多安打 稲葉篤紀
- 最多奪三振 ダルビッシュ有
- ベストナイン ダルビッシュ有(投手)田中賢介(二塁手)稲葉篤紀、森本稀哲(外野手)
2006年オフ→2007年の主な出来事
- 新庄引退
- 小笠原FAで巨人移籍
- 岡島FAでレッドソックス移籍
- ドラフト4位長野、入団拒否
- 坪井、戦力外から一転再契約
- 清水・木元↔歌藤・萩原 オリックスと2対2のトレード成立(シーズン途中)
- グリン、スウィーニー加入
投手
先発~15先発以上
2006年 | 2007年 |
---|---|
八木 | ダルビッシュ |
ダルビッシュ | グリン |
金村 | 武田勝 |
スウィーニー | |
八木 | |
吉川 |
前年からローテの中心として機能したのがダルビッシュ、武田勝くらい。八木も故障、金村も不振でローテを外れますが、交流戦MVPのグリン、スウィーニーの新外国人、そして高卒ルーキーの吉川がローテに入ってきます。
昨季よりはローテの頭数という点では解消されていますが、両外国人の片方が、全くのハズレだったら、と思うとちょっとゾッとするメンバーではあります。
リリーフ
2006年 | 2007年 | |
---|---|---|
20セーブ以上orチーム最多セーブ | MICHEAL | MICHEAL |
20ホールド以上orチーム最多ホールド | 武田久 岡島 | 武田久 |
40試合以上(上記以外) | 建山 トーマス | 江尻 |
退団した岡島の穴をどう埋めるか、これが2007年のリリーフの課題だったのですが、リリーフ転向した江尻が埋める形になっています。しかし、建山が先発転向も失敗、トーマス退団の穴は埋められず、終盤には江尻も故障離脱するため、セットアップの武田久の負担が大きくなったシーズンで、翌年の不振に繋がってきます。
野手
捕手・内野手
ポジション | 2006年 | 2007年 |
---|---|---|
キャッチャー | (高橋信) (鶴岡) | 高橋信 |
ファースト | 小笠原 | (田中幸) |
セカンド | 田中賢 | 田中賢 |
サード | (木元) | 小谷野 |
ショート | 金子誠 | 金子誠 |
キャッチャーは出場試合数は高橋が多いですが、基本は前年と変わらず高橋・鶴岡+中嶋体制でした。出場数に差がついたのはこの頃の鶴岡は、ほぼダル専用捕手と言える起用法でした。
内野陣は二遊間は安定の田中賢ー金子ラインは健在、サードも小谷野が定位置を掴みかけるところまで成長します。
最初のサード候補だったグリーンがさっぱり、木元も不振で挙げ句にシーズン途中で移籍してしまいましたから、小谷野がこのシーズンで足場を固められたことが数年後の結果を振り返ると、ファイターズには好結果でした。
一方、小笠原の抜けたファーストはまるで埋まらず、本年引退の田中幸に任せないといけない状況でチーム運営としては苦しい状況でした。もっともそのおかげで田中幸は2000本安打絵を達成出来たともいえますが。
途中加入のジョーンズがファーストでハマっていれば、リーグ最低得点での優勝という珍記録はなかったかもしれないですね。ちなみに終盤のファーストは稲田でした。
外野手・DH
ポジション | 2006年 | 2007年 |
---|---|---|
レフト | 森本 | (坪井) |
センター | SHINJO | 森本 |
ライト | 稲葉 | 稲葉 |
DH | セギノール | セギノール |
外野も新庄の抜けた穴をどうするか、外野の課題でした。
明らかに新庄の後釜要員としてドラフト指名した長野が入団拒否。今思うと指名自体、無理筋ですが今後の長野の活躍をみると、目の付け所は間違っていなかったと思います。
長野の拒否があり、その穴埋め狙いなのか、戦力外にした坪井を再契約するなどフロントもバタバタしていましたが、その坪井が復活をします。
しかし、それも長くは続きはしませんでした。交流戦頃から工藤の台頭があり、レフトの定位置を獲得します。
新庄の守っていたセンターは、新庄本人に後継者に指名された森本が回り、ライトは稲葉、DHセギノールとここは不動でした。
まとめ
この年は主力大量離脱をどう埋めるか、それが戦力面の課題でした。
岡島は江尻、新庄は工藤が一応、埋める形になりましたが、小笠原の穴は新外国人野手が大ハズレで、埋めきれず、打線の弱体化は避けられませんでした。
しかしその貧打がゆえ、ファイターズのベースができたシーズンとも考えられます。
- スモールベースボールの徹底
- 守備の重視
- 野球脳のブラッシュアップ
- 上記の点に関するメンバー間の野球観の共有
2007年レギュラー組が中心となり、相手が嫌がるファイターズの強い野球のベースができた、と言っても間違いないと考えています。
そして、ヒルマン監督は2007年シーズンを持って退任、次年からは梨田氏が監督に就任することになりました。
新監督を迎え、ファイターズはどう変化するのか? 次回は2008年、梨田政権1年目を振り返ります。
以上、ハムかつサンドでした。
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